CLIMAX 感想 (ネタバレがあります)

映画の感想テンプレを用意して書きやすいようにしているのだけど、ここ最近はJOKER 感想(ネタバレがあります)とか蜜蜂と遠雷(映画版) 感想 (ネタバレがあります)みたいにテンプレで書けないパターンが続いてるんだけど、またまたテンプレで書けないタイプのやつをみてしまった

つらつらと
エンター・ザ・ボイドでこの監督とは出会って「映画ってこんな体験できるのか...!」とめちゃくちゃ驚いた
その後、あと追いでアレックスをみてまた衝撃を受ける
LOVE 3D はみにいかないとな〜とおもってるうちに上映が終了してしまって後悔している
今回はアトロクのガチャに当たったので、これは行かねば!!と思い、勇んで行ってきた

本編がはじまると、いかにも映画のラストみたいな引きの雪原で女性が倒れ込むシーンがはじまってエンドロールみたいなのがかかる
もうここで「ややっ!はじまったな!」ってなる
パッとフラッシュでメッセージが挟まった後に、ダンサーと思しき人々のインタビューがテレビ画面越しにはじまるんだけど、これモロに us でみたやつじゃん!っていう
横に積まれている VHS で分かるやつだけでも POSESSIONサスペリアゾンビ
そっから本作の前半の白眉のダンスシーンがはじまる
皆さんプロのダンサーなだけあって、凄まじく躍動感があって、生きている衝動というか、原初的なものが映像から伝わってくるようだった
リハが終わるとシームレスに打ち上げがはじまって、お手製のサングリアが振る舞われるんだけど、ここに LSD が混入していたという...
打ち上げのはじまりのあたりは、ダンスシーンが華やかだっただけに地味でタラタラ会話してるだけで眠くなったんだが、終わってみるとここでイロイロ伏線が張られてていたんだな...っていう...
徐々に狂気が露わになってくるのは、ダンサーたちが何かを混ぜられたことに気付きはじめるシーンで「おめー飲んでねーじゃん!」ってだけで雪が降りしきる外に放り出すところ
ネットリンチみたいだな...っておもいながら、だんだんつらくなってくる
そっからはもうずっと地獄で、妊娠しているかもしれない、という女性ダンサーをリンチしたり、子供を守ろうとして結果的に子供を閉じ込めてしまったと勘違いしてしまうお母さんだったり、コカインをキメようとして口論になって身体が燃えたり、兄妹の近親相姦があったり、ゲイが拒絶されたり...というのをずーっと長回しでこれでもか!と見せつけられる
瞠目しながら、一体自分は今何を見せられているんだ...みたいな気持ちになりながらみていた
全編に渡って音楽も素晴らしくて、ダンスシーンでは生の衝動を高める役割を担っていたけれど、後半以降はずっと地獄を増幅してくれて本当に最悪(褒めてる)だった
要所要所で挟まれるダンスも、最初は喜ばしくさえあったのに、終盤では踊らされ続ける無間地獄みたいになってて、表裏一体というか、光あるところに陰ができるんだなあ、みたいな...
エンター・ザ・ボイドではドラッギーな表現を多用してトリップを味わうことができたけど、本作は逆でトリップしてる人をただただずっと見ていることしかできない
絶対にドラッグはやりたくないとおもえたので、たくさんの人がみた方がいい
パンフレットとかインタビューで監督が「R-18で残念、若者にみてほしい」って言ってるのも頷ける
字幕も気合が入っていて、画面が上下反転しているシーンでは字幕も反転して上部に出るようになってたりしていて、作品の風合いを損ねないようにしていて技を感じた

パンフレットは、開くとアレックスやエンター・ザ・ボイドを貶していた人に「今度はクライマックスを試してみて」ってヘイターを煽るようなアティチュードで、すごいなとおもった
現代は大分断時代で、表現者でもヘイターは即ブロックみたいな世の中になってしまったけど、そのぶつかりの中から文化は生まれるとおもっている(が、個々人は消耗するとおもう)ので尚更
また、メイン格の2人以外はみんな素人を起用して、台本もほとんど詰めずに15日で撮影を終えたってことらしくて、びっくりした
バイオレンス版カメ止めみたいだな...
前半のタラタラ部分はまあ素人なのか〜って感じだけど、実際本作において大事なのはダンス、身体の動き、リアリティだとおもったので、有機的に作用していたのだなと
映画をみて、てっきり冷たい熱帯魚に対する埼玉愛犬家連続殺人事件みたいな、フランスのカルト事件がベースなのかと思い込んでいたのだけど、パンフレットによると96年の新聞で少し取り上げられたぐらいの小さな事件だったそう
これもまたぞわっとするところで、実際の事件で劇中で描かれているようなことがあったのかなかったのかは最早知りようがないのだろうが
自分が明日飲み物に LSD を混ぜられて錯乱しているうちに死ぬ確率が微かでもあるわけだし
そこで壮絶な体験をしたとしても、地球46億年においても、人類史においても何ら価値がないまま死んでいくということ
96年の事件はノエ監督がたまたま強烈におぼえていたから、こうして映画という形で遠く離れた東京の人間にも知れたわけだけど、大半のことはそうはならずに時と共に消え去っていく
人生とは、生きるとは、一体何なのだろうか

ちなみに、パンフレットでは塚本晋也サンとギャスパー・ノエ監督の対談が載ってるんだけど、2人の写真がなんとも言えず似ててちょっと笑ってしまった
ノエ監督は塚本さんに対してインディペンデントでやってるのもスゴいし、スコセッシ沈黙もスゴかったよ〜みたいなこと言ってたけど、確かにそうだよな...って改めておもった