蜜蜂と遠雷(映画版) 感想 (ネタバレがあります)

パーソナルな話
全体を通して、この映画について冷静に書ける自信があんまりないのでダラダラと書く

自分は主人公の松岡茉優サンの幼少期よろしく、小さい頃にピアノを習っていて、ピアノのセンセイにトイレの躾も受けていたぐらいなんだそうだが(記憶にない)、中学か高専くらいの頃にピアノはやめてしまった
当時は、プログラミングに没頭していて日がなキーボードを叩く暮らしをしていたのだけど、センセイにキーボードばっかりやってると手が固まってよくない、どっちかにしろ、みたいなことを言われて自分はピアニストではなくプログラマーの道へ進んだのだった

小学校の終わりぐらいの頃に同じクラスにO君がいて、彼はとても有能なピアニストで小学校の朝の全体集会みたいなやつでリサイタルがあるぐらいの待遇だった
そこで彼はリストの曲を披露して私はとても面食らった
自分は劇中にもチラッと出てくるバッハ平均律クラヴィーアをやったりしていた程度だったので、月とスッポンというか、もう月とミジンコぐらいの差に愕然としたのを今でも憶えている
当時、自分はテストを受ければ100点だったし、珠算とか暗算も得意だったし、陸上ではさほどだったけど水に入れば泳げたしで、それなりに承認欲求が満たされていたとおもっているけど、ことピアノに関してはすぐ目の前に大きな壁があったのだが、当時はまだそこまで深く考えていなかったようにおもう
彼は小学校の在学中にドイツへ音楽留学が決まって、それから一度も会ったことがない

そういう意味で、この映画では松坂桃李サンが近く感じて、サラリーマンをやって家族を養いながらピアノに挑んでいるというところも感情移入してしまうあたりだった
松坂桃李サンが海岸のシーンで「あっち側の世界は俺にもわかんないよ」とポツリと言う台詞を聞いて、自分も子供ながらに「あっちの人なんだな」とおもっていたのかもしれないと、なんともいえない気持ちになってしまった
松坂桃李サンは、それでもピアノが好きで、これからもきっとピアノと向き合い続けていくんだろうけど、自分にとってピアノはそうおもえる対象じゃなかったんだな、ってストンときてしまった
新人の鈴鹿サンは無音のピアノでずっと楽しんでいられるし、松岡茉優サンにとってピアノはある意味呪いだったのかもしれないけれど、それでも最後は好きという気持ちを昇華できてラストの笑顔を迎えることができたのだとおもう
(余談だけど「鏡に向かって笑顔」のシーンからはじまって間違えてジョーカーがはじまったのかとおもった)
じゃあ自分は、ピアノじゃなくてなんだったんだろう?と考えると難しい
仕事は生業とも言えるぐらい楽しいし、生計も立てられているのでもしかしたらこれが私にとってのピアノなのかもしれないけど、この映画の登場人物4人をみているとまだそこまでじゃないと感じてしまう自分もいる
かといって他には何があるんだろう?映画?音楽?ゲーム?コミック?
森崎サンの「コンポーザーになりたんだ」とぶつシーンで、私はそうやって打ち破りたいという考え方そのものがクラシックという型に嵌め込まれているのでは、とおもいもしたけれど、パンフレットのインタビューを読むと森崎サンも近い想いでいるとのことで、自分も自分の好きなものを全てミックスしたような何かを作り上げたい!とおもってしまった
この映画には「あっち側」にも「あっち側の苦労、重圧」がある描写が丁寧で、森崎ウィンさんが神経質そうに楽譜に書き込んでたり、鹿賀丈史サンに強めに意見しちゃったり、松岡茉優サンの影響を受けて師匠にドツかれたり、あの演奏の陰にどれだけの準備と鍛錬があったのかとおもうと、もう
(またまた余談だけど、鹿賀丈史サン出てくると「あ!ベンゼン星人!」ってなっちゃうのいい加減やめたい)

余談
本来なら松岡茉優サン主演作ということで、初日に馳せ参じるぐらいの勢いでいかなといけなかったのだけど、やれジョーカーだ、やれジョン・ウィックだで舞い上がってて後回しになってしまっていた
アトロクムービーウォッチメンでガチャに当たって、やはりみにいかねば、となったので鑑賞できた
よかった

劇中のスゴかったところ
なんといっても松岡茉優サン、ラストで黒装束で登場するあたりはブラック・スワンを連想させる
指揮者と協調というよりは、取っ組み合いに近いその様はみているこちらもヒリヒリする
自分は登場するコンテスタントたち以前のコの字よりも前にやめてしまっているので言えた立場でもないんだけど、本番前のあのなんとも言えない緊張感とか、前の奏者との一瞬の邂逅とか、みていてそういうのを思い出して気持ち悪くなるぐらいだった
ピアノに限らず、一発勝負の本番ごとってヒリつくよねぇ、ともおもいつつ
階段のシーンのショットとか、地下の駐車場のシーケンスとか、現実と向こう側の境界線のない曖昧な感じが音楽と相まってクラクラきた
グランドピアノを中心にバレットタイムで撮影するのに役者と演奏者をワンショットの間に入れ替えて撮影するというとてもトリッキーな取り組みによって、本当にアクターたちが弾いているのではと錯覚するぐらい上手くつながっていて感動した
こういう楽器モノは明らかに顔のショットと演奏ショットがカット割りされていたりして醒めるものだが、本作では役者たちもそれなりに弾けるようにトレーニングしていたのか、かなり説得力があった
周りを固める役者もよくて、斉藤由貴サンなんかもほとんど英語の台詞なのにスラスラ出てきてすごかったな...
舞台袖チームの面々とか...