JOKER 感想(ネタバレがあります)

総評
クリストファー・ノーランダークナイトからバットマントゥーフェイスを抜いた現代風の70年代ゴッサムでキリングジョークをやってみせた

つらつらと
普段映画の感想は「良かった」「微妙だった」みたいな章立てでまとめているのだけど、本作に関しては良いとか悪いとかそういう二項対立が存在しないということを強く訴えてくる作品だったので、つらつらと思ったことを書いていこうとおもう

劇場に向かうまでは、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞ということで、同じく金獅子を獲ったシェイプ・オブ・ウォーターを連想してこれからはじまる賞レースに DC 発かつアメコミ映画が席巻するのではないか、という期待が高まっていて、ダークナイトで獲り逃した(と勝手に憤っている)雪辱を果たす絶好の機会、とワクワクしていた
みおわってみると、ヴェネチアで評価されたとはそういうことか、ふーむなるほど困った、というのが正直なところである
もんにょりとした気持ちを抱えて劇場を後にして、グルグル映画のことを考え続けてしまうあたり、いい映画なのだとおもうが、また手放しで勧めづらいやつがきちゃったなあ、みたいな...

兎にも角にもホアキン・フェニックスがスゴすぎた。各所で絶賛されているのも納得がいく
オスカーでも主演男優賞はかなり堅い気がするけど、作品賞はどうなんだろう...
個人的にはアメコミ映画でオスカー作品賞が悲願なので、達成できる一大チャンスな気はするけど...
ここ何年かの傾向でいくと重そう系は2015年のスポットライトくらいか...?(未見だが)
2016年だとハクソー・リッジ2017年は事前にダンケルクゲット・アウトしかみれてない状態でシェイプ・オブ・ウォーターだったので残りが全然わからない
2018年はうーんグリーン・ブックかぁ...(個人的にはSpider-Man: Into the Spider-Verseがぶっちぎり優勝なので...)という感じなのでわからん
ジャンル寄りなシェイプから中1年空いてるのは少し有利かもしれんが、果たして...

まず、本作は後のジョーカーとなるアーサー・フレックを通して70年代ゴッサムを描写しているのだが、冒頭のロバート・デ・ニーロ演じるマレーのショーに参加している妄想を現実と隔てずにこちらにみせてくるので、この時点では気付かないけれど「信頼できない語り手」映画なので何が虚で何が実かをどう捉えるかは我々観客次第というところで、それぞれがそれぞれに感じることが違ってくる映画のようにおもった
ゲームにしても映画にしてもこのテの演出はズルいとおもっているが、それは下手にこの設定を採用すると途中で「はいはい、妄想でしょ」とどうでもよくなってしまうからで、そういう意味では本作は最後まで緊張しながらみていたので上手かったのだとおもう
そのアーサーを演じるホアキン・フェニックスはちょっと尋常じゃない仕上がりだった
体つきがもうすごくて、上裸でいるだけで不安になるというか
笑い方も、ジャック・ニコルソンジャレッド・レトとも違った悲哀に満ちた声で怖かった
比較するのも野暮なのかもしれないけど、一挙手一投足まで役に入り込んでる感じはもうだいぶイーブンというか
タバコを神経質そうにフィルターの端まで吸ってたり、イライラしてる時の貧乏ゆすり、ダンスなど
パトカーで夜の街を走るシーンはダークナイトオマージュだったのかな
あの晴れ晴れとしたジョーカーたるや

パンフレットのレビューを読んだり、ネットで感想を読んだりしているとあんまり「そうそうそれそれ!」みたいにガッチリ自分の感想と合うことが少なくて、この映画の解釈の幅の広さを実感した
パンフレットは町山智浩さんの後に宮台真司さんで、TBSラジオかよ!ってなった
宮台さんは相変わらず難解すぎて解読に時間がかかった

話の大筋としてはジョーカーのオリジン譚なのだけど、これまでのコミックや映像作品でちょい出しされていたオリジンと一線を画す設定になっていて唸らされた
ジョーカーというキャラクターに神秘的な雰囲気を求めている人(やはりヒース・レジャーの影響が大きいだろう)にとっては、どんなオリジンがついても納得いかないだろうという気はする
このオリジンの白眉は「明確にジョーカーになるトリガー」があるわけではないところだろうとおもう
パンフレットでホアキン・フェニックスが「ピーター・パーカーベン伯父さんを殺されてスパイダーマンになる」ように何か大きなきっかけがあってジョーカーになるわけではないところに力を入れていた、と語っていた通り「薬品のタンクに落ちてジョーカーになる」わけではない
それこそが恐ろしいところで、人間は誰しも小さいジョーカーが自分の中にいて、薄皮一枚で表出していないだけで、小さい傷がいくつもついてその薄皮がめくれる時、私たちはいつでもジョーカーになってしまうのだとおもう
劇中でも、アーサーの何の気無しの行動によって既にギリギリに張りに張っていた社会の薄皮が剥けて暴動、混乱、無秩序、が表出する
人間は昨今のヒーロー映画のように善と悪の二項対立で割り切れるものではないし(とはいえヒーロー映画も最近はそんな単純な作品は少ないけど...)、誰しも良い面悪い面があってそのグラデーションなんだと強く訴えかけてくる作品だった
本作の設定に対して、当事者たちへの差別が助長される、という指摘をしている人もいたけれど、それこそがまさに差別なのではないかとおもっていて、アーサーはソーシャルワーカーに対して「自分の言うことを聞いてくれたことがない」「自分は本当に存在しているのか分からない」と述べている通り、社会からのけ者にされていて誰からも気にかけられることがない人生を送っていたわけで、腫れ物のように扱うことが差別ではないわけではないとおもった
本人の特性云々以前にあんな扱いをずっと受け続けたらそりゃ壊れちゃうでしょうよ、っていう
アーサーに関わる人の中で、1人でも気にかけてくれる人がいればまた違ったのだろうとおもう、同じのけ者の小人の彼がいてまだよかったのかもしれないが
銃を渡してきたアイツをブチ殺した後に小人がチェーンに手が届かない、みたいな描写はジョーダン・ピールもそうだけどトッド・フィリップスもコメディ出身なんだなあ、と感じるシーンだったり
妙なところで笑いのシーンが入ってくるので笑いと恐怖の感情の振り子の振幅がデカくなる感じ
また、これは最近公開だった us とも通じる人種間の問題が明らかにクローズアップされているとおもっていて、アーサーを見つめる目は終始「黒人」で「女性」だった
終わってみるとエンパワメントされていく「有色人種」や「女性」に対して相対的に力を失っていっている「白人男性」が精神を病んで、挙句の果てに暴力に訴えるという昨今の風潮を表しているのではないかと
白人はロクな奴が出てこなくて、ロバート・デ・ニーロも上辺だけ取り繕ったヤなやつだし、ウェインエンタープライズの3人組も最悪、ピエロ派遣会社の上司なんかもクソ野郎だった、トーマス・ウェインの発言も最悪だしな...
70年代という舞台設定はこれも近作のワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドに通づるところがあって、時代性みたいなのを感じた
クリフもアーサーに近い底辺の暮らしをしているが、クリフにはリックがいたし、暮らしぶりは何ならリックよりも楽しそうだった点でクリフの中のジョーカーを隔てる膜はかなり厚いかったのだろうか

BvS は明らかに DKR だったけど、この映画はほぼキリングジョークだなぁ