june29: 民芸とソフトウェア


日常的に使われる工芸品。元は民衆的工芸の略。1925年、柳宗悦を中心とし、陶芸家の河井寬次郎、濱田庄司らによって提唱された造語。民藝運動を参照。

民藝運動ってのがある。このときの表記には民藝が使われている。

民藝運動(民芸運動、みんげいうんどう)とは、手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に美を見出そうとする運動。「民藝」とは「民衆的工藝」の略語で、柳宗悦らによる造語。1926年(大正15年)に柳宗悦、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司が連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表したことが、運動の始まりとされる。全国の民藝館などで運動が続けられている。
日本民藝館の創設者であり民藝運動の中心人物でもある柳宗悦は、日本各地の焼き物、染織、漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、朝鮮王朝時代の美術工芸品、江戸時代の遊行僧・木喰(もくじき)の仏像など、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努めた。


いまから約 100 年前に人為的につくられた概念だったのだなあ。これを知れただけでもよかった。

民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。


そもそも「民藝」という言葉は、「民衆的工芸」の略語で、柳と美の認識を同じくする陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎らによってつくられた言葉である。 つまり、民藝品とは「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味で、いいかえれば「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」とでもいえよう。

では柳の説く「民藝品」とは具体的にいかなるものであるのか。柳は、そこに見られる特性を次のように説明している。
1. 実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
2. 無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
3. 複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
4. 廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
5. 労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
6. 地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
7. 分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
8. 伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
9. 他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

また、そこに宿る民藝美の内容を、柳は「無心の美」、「自然の美」、「健康の美」であると説明している。



ソフトウェアデジタル・プロダクトにおける「民芸」は成立し得るのか?を考えてみたい。個人が自分の生活を便利にするために開発して、公開して、複数人が活用している状態のソフトウェアを思い浮かべながら考えてみよう。

1. 実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
そもそも実用のためにつくっているので、実用性は「ある」と言える。

2. 無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
これはちょっと悩む。現代だと username があるので「完全な無名」というのはなかなか想像しにくい状態だが「すごく有名ってわけでもない」をアリとして無銘性を「ある」と言おう。

3. 複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
ソフトウェアなので、ひとつだけつくられたものが自由にコピーされて民衆の手元で動いていれば複数性は「ある」と言っていいだろう。

これを読んでくれた や がコメントをくれて「いろんな人がいろんなバージョンをつくるのが複数性では?」という話で、ぼくもここの解釈は迷っている。

4. 廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
ソフトウェアについては、無料で配布されるケースも多い。廉価性はじゅうぶんに「ある」。

5. 労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
なるほど。過程が労働である必要はないが、大なり小なり技術を伴うものではある。労働性は「ある」と言い切るのはむつかしいか。「一定の労力を要する」を条件とすれば「ある」と言えるか。

6. 地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
物理的な座標にとらわれるものではないが「コンピュータを用いて◯◯の作業をする人のための」という意味で独自性は出る。地方性と言われてしますと「ある」と言いにくい。

7. 分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
数をつくる必要がない、ってのはソフトウェアの特性。共同作業をしたかったらすればいい。分業性も「ある」と言っていいか微妙。

8. 伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
「標準」「規約」等によって維持されることはあるが、伝統はあまりソフトウェアを守ってくれないように思う。どうだろう?伝統性はあまりなさそう。もっとよいものが登場したらそっちに移行することをよしとしていそう。フォークされて受け継がれていく思想はある。

9. 他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。
風や土はあまり関係なさそうだけれども、先人たちが紡いできたアルゴリズムやプロトコルやライブラリという大きな力によって支えられているのは間違いない。他力性は「ある」でよさそうだな。


書かれている文章を書かれているままに読もうとすると「個人がひとりで開発をはじめてそこから広がっていくようなソフトウェア」は民芸品の定義にはあてはめにくいけれども。もし現在のオープンソースソフトウェア文化の盛り上がりを柳宗悦さんが見ることができたなら、きっとポジティブに受け止めてくれるんじゃないかな。そんな気はする。通ずるものはある気がするんだよな。


民芸って当たり前みたいにある概念だとおもってたけど、造語だったんだなあ、すごい