由太郎13歳の時に奉公に出され、10年の辛抱の後に独立したのでした。独立した由太郎は(1)消耗、(2)保存、(3)大量に生産、(4)手軽に持ち運べるという条件を満たす製品を作れば必ず売れると言う信念で事業をはじめ、頭痛膏『乙女桜』、貼薬『シカマン』などを作り出したが、これらは全部、膏薬でした。
大正9年には、事業を年商5万円の売り上げを示すほどに成長させたのでしたが「好事魔多し」。大正12年の関東大地震により大きな被害を受け、この傷が癒えず昭和6年には、逆に借金5万円という苦境に立たされたのでした。この苦境を乗り切るために由太郎が考えたことは「5ヶ年計画」です。この計画は功を奏し、五年後には借金を返済し、売上高を160万円にすることが出来ました。