陰摩羅鬼の瑕 2周目 感想 (ネタバレあり)

陰摩羅鬼の瑕 2周目 感想 (ネタバレあり)
鵼の碑読んで「ああ、京極夏彦って人はなんて面白いんだ〜〜と」改めてくるものがあったので前作を引っ張り出してきて読み返していた
当然(?)最初に読み返したのは後巷説百物語なんだけども、次に取り掛かろうって時にそういえば由良家の話を読み返してみるか〜ってことで陰摩羅鬼にした
2006年刊行の1刷を持ってるんだけど、本作との触れ方として、東野圭吾あたりからミステリを読みだして、森博嗣を読んだりなんだりしてる間、ずっと福井の本屋の文庫コーナーを陣取っていた一連の煉瓦本が気になっていて、ものは試しに....と姑獲鳥を読んで「おぉ....!!」つって一気に塗仏まで駆け抜けた後に、このシリーズの新作が出るんだ.....!!とウキウキで買って読んだんだけど、15歳の自分には衒学的な(と言っていいのか?)問答があんまり響かなかった
トリックとしては犯人が死という概念の、家族という概念の、殺人という行為の、認知が歪んでいたらそれは殺人と呼べるのか?という
読み返した今は、この問い掛けが当時よりは豊潤に受け取れているとおもえるのだが、当時としてはやや拍子抜けという評価だった
17年越しに読み返せる物理本は最高だなあ
誰かの神は誰かの悪魔譲り合う余地はない互いのドグマって考えると、この閉鎖された特殊な環境で育った人だから.....というのだけでは押しやれない現代的な怖さがあった
アイヌの人は鶴は食い殺されるかもしれない恐怖の対象だが、和人は鶴は瑞兆だと感じるので嬉しくなれるんだけど、コレの悲しいところはアイヌの人が一目散に逃げてった後に、残された和人の方はナンデ....??っておもったままなこと
まあ、全てのこういうボタンの掛け違いみたいなやつは話して解決しろよっておもうけど、世界をみてると大抵話しても解決しないという実感だけはある
一応少なくとも本邦において最低限の認識の共有はできてるとおもってるけど、1億人全員と確かめたわけはないし、それにしたって考え方の違う人はかなりたくさんいるだろうと考えると、他人事ではなくなってくる
本作ほど極端な掛け違いはないと信じたいけど、些末なやつはまあ多そうだ
正直、例えばウクライナで実際に戦場に駆り出されている人よりは法を犯してでも出国を試みる人の方が自分としては親近感がある
中東でもイスラエルに理あり、と考える人もいれば、ハマスに理あり、と考える人もいるからコンフリクトが起きるわけで
本作における被害者は勘違いで殺されてしまった薫子さん(と父母代わりだった2人)だけだが、現実世界ではハマスに拉致されたり殺されたりしたイスラエル人や、逆にイスラエルの空爆に巻き込まれて殺されたパレスチナ人が夥しくいるわけで、はあ.......って気持ちになる
ムラ社会みたいな、閉鎖的なコミュニティって唾棄すべき因習だと喝破されたり、猟奇視点というか、ヤコペッティみたいな下劣な興味の対象として儀式なりなんなりが残っていて...みたいなのってまあ無知故のことだとおもうんで、この人の本を読んでると一概に唾棄すべきものでもないともおもえるし、だからといってそこに贄も当然存在していてそっちの悲哀も描かれてたりするんで、まあ根本的にコミュニティってのがそもそも難しいね〜....と雑なまとめになってしまうのだが、ヒトは合理だけでは生きていけないというとこだけは通底してるのかなとはおもう
でも山王一実神道やら吉田神道やら山王権現やらの話を輪王寺組がしてる間なんかは結構クラクラしながら読んでたけど、陰摩羅鬼では儒教がいかに仏教と混淆されて取り込まれたのか、林羅山とは何を仕掛けたかった人だったのか、ハイデガーとの違いなんかを京極堂で伊庭さん(会ってもないのにさん付けをしてしまう)を挟んで議論するくだりは本当に面白くて、話半分なんだろうけど当時(江戸初期)の様子を想像したりした
子供の頃、なんか論語を読んでた時期があって「何当たり前のコト言ってんだバカ!」みたいなヒネた感想しか持てなかったんだけど、そもそも当たり前だとおもってる時点で論語の教えるところ、考え方がもう自分に刷り込まれているんだ.....ということに気付いてすらいなかったということにハッとしたりした
こんな長い時間生き残ってきた文章だし、味も深みも全然想像を超えたとこにあるんだろうなーと素朴な感想をもった
不勉強で儒教朱子学の違いもロクにわかってなかった程度だったんだけど、それでも面白い議論だなあと
存在と時間100分de名著で概要を掴んでいたので、羅山との比較やなんかも面白かった
当たり前みたいに横溝正史が出てきて笑ってしまった、当時はわかってなかった気がする
ここが面白かったので、なんとなく避けていた虚実妖怪百物語の合本を買った
通販ではあらゆるところで売り切れてて、確か近所の書店に在庫があったような気もするんだが、行ってなかった時に悲しいし富山の本屋っぽいところから取り寄せた
内容ほとんど忘れてたけど、コアロジックは自分のどこかに刻まれていたので、榎木津みたいな立場で全編走っていったんだけど、それでもやっぱり伯爵の世界が瓦解する瞬間の哀しみたるや....という
関口は数日で気付いたんだから、さすがに誰か変だって気付くだろ、とおもわんでもないが、それはそうと例えば初対面の人に「あなたにとって死とは?生とは?その定義を教えて」なーんて聞かないし、さすがにそこは共有してる前提でコミュニケーションをとるだろうから、一度そこのボタンを掛け違えたらそらもう惨事一直線だよなあ...
葬儀に参加したのって、祖父の葬儀と、確か昔同級生のご両親にご不幸があって....ってので都合2回ぐらいしか参列したことない
しかし、いずれは自分も死ぬだろうし(その前に意識をアップロードできるようになると信じてるが)、妻も死ぬわけなので、たまに死んだらどう弔ってほしい?みたいな話をするんだけども、お互い無信心なので仏式(日式と呼ぶべきか)でやってほしくもないし、墓も別に石碑はいらんし、と
は焼いてくれていいし、別に骨もどっかに撒いてほしい気もあんまりしない
なんなら肉体を宇宙空間に射出して、散々宇宙空間を彷徨った後なんらかの高度な技術をもった生命体に引き取られて、蘇生手術をされて「ハッ!」みたいなことになる確率(何%なんだ...)に賭けてもいい