量子脳理論とクァントマニア

ずーーーっと昔から、こういう自分が何かを書くサイトのタイトルは I am Electrical machine にしてるんだけど、この源流はマトリックスにあって、マトリックス的な発想でこの世界は、というか、自分自身は電気信号の塊に過ぎなくて〜みたいな思考が根っこにある
じゃあその電気信号の塊から出力された電気信号の塊は拡張された自己なのでは〜....みたいな
今のところはトンデモの域を出ていないようだが、量子脳理論という考え方があると知って、はあ意識と認識しているソレは実は電気信号のつくりだした幻影などではなく、量子の世界でみたいなやつが存在しているのか...?それはロマンあるなあ、などとおもった
そういや、最近量子が云々みたいな話をみたよなと、クァントマニアのことを思い出した
ところで、カーン役のジョナサン・メジャースがパクられたらしいけど大丈夫か.....?
ジェレミー・レナーの大怪我もヒヤッとしたけど、エズラ・ミラーの件がどうしてもよぎってしまうが....
アントマン&ワスプ: クァントマニア 感想 (ネタバレがあります)でダラダラ書いたけど、改めてこの映画の量子世界の量子世界の魅力がなかったなって
こういう量子脳理論みたいなのをフィクションとして真に受けて、世界を構築もできたんじゃないかなあ
終盤の可能性チャンバーだったっけ...?量子世界で可能性が量子的に重なり合って存在している、みたいな、ああいうのをもっと広げて作ってほしかったな
「さあ、君は運用的視点を持たなければならない。意識が何なのかなんて知りやしないさ。ある人物に意識があるのかないのか、どうやって判断するんだ?彼らの行動で判断するしかない。計算機やロボットにも同じことが当てはまるだろ」と。他の人々はこう言うだろう、「いいや、それが何かを感じているかのように振舞うことをもって、それが何かを感じているとは断言できない、というだけに過ぎない」
チャットボットハイプサイクルがきている今、なかなかハッとする話だった
だそうです