美とメタデータ - diary.jgs.me

dsbdを見ていると、メタデータがあるpostとメタデータが欠落しているpostがある。sourceあたりはあった方がいい、Quoteの場合は出典は必要だとおもうけど。
Photoで誰だかわからないけど、{かわいい|きれい|うつくしい}からreblog, likeするというのはそのコンテンツが最高に洗練されていることの証とも言えるとおもう。Quoteでも詠み人知らずなQuoteがreblog, likeされるというのも同様。
それと真逆なのがメタデータが盛りに盛られているコンテンツだ。例えば、「オッサンが豚ラーメン食べる写真」がコンテンツだとしてもそれが「毎日豚ラーメンを食べてるオッサンが豚ラーメンを食べる写真」なのか「減量のため100日間ラーメンを絶ち、バナナとヨーグルトを食べ続け、ついに目標体重を達成したのでその記念にオッサンが豚ラーメンを食べる写真」なのかで受け取り方が大きく違う。
このあたりの感覚は、アイドルと接しているときによく感じる。アイドルはコンテキストの積層だ。その断面が美しいのだ。もちろん、メタデータの欠落したアイドル、もしくはアイドルというメタデータすら欠落したただのヒトとして美しいのもカタチのひとつだとおもう。
ゲームデベロッパーたちも、kickstarterなどの普及によってゲームの開発自体にコンテキストが発生していたりするのも面白い。GTAVみたいなコンテキストレスなプロダクトもあれば、Minecraftのコンテキストフルなプロダクトもあってどちらもいいとおもう。
そんなことをふわーっとおもったのだった。

January 25th, 2014 8:47pm