新潟 - 佐渡 24

スーパーチャージャー新潟の近くのスタジアム
ミラノ号の残り航続距離と、スーパーチャージャー新潟までの距離から「いける」と判断したのだけど、高速を走ってると途中から「足りません」と赤字で表示されて、鈴鹿の帰り以来のギリギリドライブをするハメになってしまった
鈴鹿の帰りは結局0%にはならずに家にたどり着いたのだけど、今回は新潟入りしてから渋滞に巻き込まれたのもあって、スーパーチャージャーまで残り数kmのあたりで表示が0kmになったが、出力の低下等も感じることなく(ややアクセルの鋭さがなくなったような気はした、気のせいかもしれない)しばらく走って無事にたどり着いた
....スタジアムの駐車場にチャージャーがあるんだけども、まさか入ってすぐのところにあるとおもってなくて、大抵奥まったところに置かれているので、駐車場を0kmでヒヤヒヤしながら走ってたら入口付近に目視して事なきを得た
運が悪く、寒波が〜というタイミングで北上するハメになってしまい、緯度が高くなるにつれて気温がガンガン下がっていき、ナントカっていうトンネルを抜けたら完全に雪模様で「あぁ〜これや〜〜裏日本〜〜〜」と思い出させられた
新潟にいる間は基本外では防寒着を羽織ってたんだけど、関東に戻ってきたらかな〜りあったかいし晴れてるしで「やっぱ関東はズリィな」と妻と話した
独り行動タイムがあって、どこに行くか勘案した結果新潟県埋蔵文化財センターへまず足を運んだ
...我ながら遺跡巡りが好きすぎるやろ
年表を読んでると、親鸞は流されるわ順徳上皇は流されるわ日蓮は流されるわ、新潟はどんだけ流刑の地だったんだ
完全に脳内はレイクラストだった
埋蔵文化財センターに行く道中に弥生の丘展示館の看板があって、こっちも見に行ってみることに
行ってみると赤ペン先生コーナーがあって、質問文に対する回答が完全にオタク早口で脳内再生されてしまった
ちなみに、この熱量が面白いなとおもってリスペクトも込めて私も一行質問を書き残してきました
あと、帰りの佐渡汽船のターミナルにもホワイトボードがあって、思い出を書き残せるようになってたのだけど、そこで「朱鷺みれました〜!」とか書いてる人が多勢の中「人生は美しい」って一言だけ書いてる人がいて、こ〜れは I WISH !! って妻にも大興奮で報告したら「いやお前 I WISH 閾値が低すぎるやろ」とツッコまれた
そしたら裏手に古墳があって、当時を模した建物も復元されてるってことだったので行ってみることに
写真からお分かりいただけるかとおもうが、雪が積もってるし、当然日本海側のべちゃ雪なので足元はぬかるんでいる
そして寒いし息も白いんだが、階段を登って、坂を登っていくと呼吸は荒くなっていくし体温も上がっていくしで、顔や耳なんかが冷たいのに身体は暑い現象が久々にあって「いや〜これよなあ」と懐かしい気持ちになったりした
とはいえ、このインバウンドだなんだと言われている中、人っ子一人いないので竪穴住居を存分に眺めることができた
オイオイ隈研吾の設計かあ?と近付いてみると大雪で倒壊したけど、経過観察をしているよ〜とのこと
冷静に考えてみると、中で囲炉裏に火をくべてたのかもしれないが、当時もこの冬をこの住居で過ごしてたのかあ....と想像すると結構ゾッとする
あまりに寒すぎて燕三条由来の背脂ラーメンを食べに行った
今年の ROTY 確定
左手付近にご注目ください
佐渡へ渡るフェリーの出港待ちのタイミングで食べたぶりカマ
TOTY (定食オブ・ザ・イヤー)確定
煮焼き?焼き煮?ってはじめて食べたんだけど、塩焼きとも違って米が進むこと進むこと
フェリーに乗り込む時とか、佐渡に上陸する時は、なぜか水曜どうでしょうの藤村さん口調になってしまう病
ミラノ号はフリーモントから出荷されて以来の船旅である
ちなみに、対向車の雪を散々浴びせられて大変汚れた状態で帰ってきた
きらりうむ佐渡Spread the Wings!! ポーズではしゃぐ筆者
きらりうむ佐渡は最後の展示(プロジェクションマッピング)がかなり良くて、明治以降の近代化された佐渡金山を、輪切りにした断面図みたいな感じでプロジェクションしてくれて、幼い頃からこういう輪切りの図鑑がめっちゃ好きなので、そのツボを刺激された
妻には「いやお前そういうゲームやってるやん」と言われて「あ〜、Oxygen Not Includedかぁ〜」などと
Sado Gold Mine Simulator 1801 誰かに作ってほしすぎる
佐渡金山はみっちり江戸コースと明治コースを踏破した
江戸コース終わりの展示室に、金塊持ち上げ体験コーナーがあって、その場に居合わせた兄ちゃんと「重ッ!!」とかやったりした
金山に向かう道中に「あれって朱鷺じゃね!?」をやって、たぶん野生の朱鷺観察もできた
生野銀山以来の鉱山で、佐渡の方は金山とあって江戸期も明治以降もなかなか活発でさすがだなあ、と
そういえば遠巷説百物語で埋蔵金話があったけど、あれってどれぐらい実話なんだろう
金山を後にして、この金山を取り仕切っていた奉行所の復元をみにいった
時代劇でみるようないわゆる白洲なんだけども、佐渡は年中天気がイマイチなので屋内にあったよ〜とのこと
写真は捕縛されて沙汰を言い渡される筆者
当たり前だけど砂利の上で正座したら脛がめっちゃ痛い
気分は完全に冨久の館である
奉行所の後、近くに拘置所の跡があるってことで、そっちもみにいってきた
ここは詰める人もいねえ状態の建物で、いろんな意味で怖くてかなりビビりながらみてきた...
モノが片された部屋に、なぜか古ぼけた椅子だけポツンと置かれていて不気味で、なんとなく Maison book girl ぽいな、とおもったりした
ポエトリーとかにありそう
フェリーの出港待ちをしている間に魚市場をみてたら、あんこうが売られてて「あんこう鍋食べたいな〜」と
割烹ってあんまり入ったことないんだけど、気さくな大将と女将さんと大変楽しい時間を過ごした
いろいろ話して面白かったんだけど、一番印象に残ったのはパンデミックの時にもう全部予約がキャンセルになっちゃって「もう畳もうかな」って話までしてたらしいんだけど、そこへ佐渡のユーチューバーがやってきて、そのユーチューバーが動画をあげたら全国から反響があって、実際に店までくる人もたくさんいて、今日まできてるんだよね〜って話で、YouTube のお陰、Google のお陰でワタシはあんこう鍋を.....YouTube Save Us.... という気持ちになった
最終的には4人でネプリーグ見ながら「今のだよ!! xx番!!」とかやったりして、完全に祖父母の家に帰省した気分だった
無事本土側に帰ってこれて、長岡生姜醤油ラーメンで締めて終わり
日程の都合で帰ってきたけども、行きたいスポットのリストは全然埋まってないので、また行きたいねえ〜という話になった