情報過多の話をしていたのが今年の締めという感じでとてもよかった

疲れ2019 - yuta25でまとめられているように、10年代の終わりの空気感は「情報量の多さとどう向き合うか」について言及している人が多かった
アジアだけを見回しても香港Division みたいになってるし、ドゥテルテはぶち殺しまくってるし、アウン・サン・スー・チーロヒンギャのハンドリングに失敗し、ウイグルはスーパーディストピアと化しているし、私の足もとでは今日も景気よく公文書がシュレッダーされている
これらは確かにどれも問題だとおもうけど、私は私のことで精一杯だし、例えば香港について(負担の大きくない範囲で)何かできることもない
(たまに中国発のソーシャルイシュー系 GitHub リポジトリにコントリしたりしてるけど)

これらに関心を持ち続けることは大事だとおもうけど、共感疲労というヤツで少しずつ削られている
過剰に悲観的になりすぎてもいけないとおもうし、楽観的でもダメだとおもう

サピエンスはほぼほぼ飢餓を克服したかとおもったら、肥満へと転落していった
現代の我々は1日だかそこらで中世のヒトの1年分だかの情報量を摂取しているという
かつて情報のやりとりはコストの高いものだったが、今や凄まじい量のデータがこの地球上を駆け巡っている

そして、この問題の簡単な対処は「距離を置くこと」なんだろう
それはほうぼうをみておもうし、実際効果的だとおもう
だけどさ、RSSフィード掘りまくってたり、dsbd潜りまくったりして青春をドブに棄ててきてっからさ、できる方法はなんかあると信じたいのかもしれない
だし「距離を置く」からは「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を連想しちゃう