塚本晋也版「野火」 - diary.jgs.me

終戦から70年となる2015年の8月15日塚本晋也監督の「野火」を妻とみにいってきた。「野火」をずっとかけていたユーロスペースさんで8月15日は25歳以下のひとは500円で「野火」をみれるキャンペーンをやっていて、それも後押しになってみにいってきた。このユーロスペースの侠気には恐れいったよ!カッコいい。トークショーの際に25歳以下のひとが挙手する展開があって、おもったよりそれできてるひとがいたようなので成功したといっていいだろう。
さて、本編だがとにかく言語的な情報量を省いて、フィリピンの大自然とそこでグズグズしている人間たちの対比がひたすらに描かれていて戦争のクソさが映像体験として浴びることができる稀な映画だな、とおもった。キャストも味があって良かった。特にトークショーのゲストでいらしていた森さんなんかはまるで別人みたいですごかった。(劇中のナガマツというキャラクターはちょっとだけNIGHT SAFARIの監督の小林勇貴さんに似てた)
ちなみに、冒頭の塚本監督がアップで登場するシーンがなんともいえない作り物っぽさがあって一瞬入り込めなかったんだけど、慣れると大丈夫だった。カメラの問題なんだろうか。
白眉はやはり中盤の米軍に掃射されるシーンで(思い返してみると腹立つシーンだ。あんなんで死にたくない)人体破損表現などとにかく容赦なくて心が折れた。顔が砕けるとこだったり、吹き飛んだ腕を取り合うシーンなんかもむごすぎてもう…。
そして終盤の奇行とともに食事をするタムラになんともいえない恐怖をおぼえた。同時に(こちらも傑作の)アメリカン・スナイパーを連想した。戦争はなにも戦場だけが戦争の舞台ではないんだよな。一度あの地獄を味わってしまうともう帰る場所がなくなってしまうんだろうな。
もちろん原作にも興味が出たし、読んでみようとおもう。Kindleで300円くらいだし。
ところで、副読本に田原総一朗さんの寄稿が載っていたがこの映画を安保法へのアンチテーゼとするような見方は映画自体の良さも損なってしまうのではないかと、矮小化してしまうのではないかと、おもってしまった。戦争に限らず、暴力というものは田原総一朗さんが戦争を「愚かしい」と指摘するように「愚かしい」行為だとおもう。これは数多のバイオレンス映画が描いてきていることだろう。知識として知っているだけだから、実際に体験されてこられた方には敵わないが、日本が戦争へと向かっていったのはやはりエネルギー問題だろうと考えている(HoIで学んだ)。また、ドイツが戦争へと向かっていったのはベルサイユ条約の補償金などもあるが、やはりエネルギー問題のようにおもう。また、戦争を避けるためには自国が拡大政策を採らないで良い、他国(特に近隣諸国)から攻撃するコストが大きい、占領するメリットが小さいと考えさせることが重要におもう(こもHoIで学んだ)。というようなことをいろいろ考えてるとどうしても「戦争よくない!だから安保法よくない!」みたいな短絡的な発想にはなれないんだよなあ…とおもってしまうところで。あと、戦前の軍といまの自衛隊を重ねて書くような書き方は正直自衛隊の皆さんに失礼だとおもうんですが…。
まあ、副読本を読んで単純に作品のバックグラウンドを解説するような内容はとても面白かったんだけど、映像表現を言葉に起こすみたいなことが特にこの映画では無粋に感じてなんとも言えない気持ちになった…。
こういう映像で魅せるような映画が好きだなあ、と最近気付いてきたのでもっと見たいなとおもいました。

August 17th, 2015 1:51am