原典あたらない奴はワック

原典あたらない奴はワック
最近創作そのものよりも、それを人がどう受け取ったのか、みたいなところに興味があって読んでもない本の書評とか、論考、みてもない映画(みる腰が重い)の感想とか見聞きすることが増えた
妻にも敏く気付かれていて「原典読んでもないのにいっちょ前に他人の褌で土俵に上がろうとしている!ワック!(意訳)」というようなことを言われて、まあ究極的にはオリジナルがどうとかこうとか、どうでもいいなっておもってる自分がいるなあと
ファスト映画を消費してる連中と同じ穴の狢だよワック!(意訳)」とも言われたんだけど、ファスト映画ってキュレーターの視点みたいなのが入ってたりするんですか~?って
なんか自分は作品のあらすじを知りたいとか、誰かと知ったか話をしたい気持ちはなくて、本当に素直にその人がその作品に対して何を受け取ったのか、ってことだけが知りてえので、キュレーター不在ならそれは興味ねえなーと
プログラミングに対してもそういうまあまあ不純な気持ちで接してる自覚があって、ウェブにしても賢い人が仕様を読み込んでくれて、こうこうこういう機能が使えるよ~とか、そういうので十分で、本質的なプログラミングに興味はなくって、あくまでツールなんだよな~....と
だから、フレームワークのコードなんかをちゃんとコードリーディングする人とか偉いなって
使えりゃなんでもいいので、オフィシャルのドキュメントぐらいは結構読むし、よっぽど変なバグ踏んで、理屈がわからねー時なんかは掘りにいくけど、趣味として言語の仕様や実装に興味がない
研究をほっぽりだしたのも、論文を掘っていく(まあ学部の時はそれ以前の問題も多分にあったが)ことに興味が持続しなかったからだとおもう
青春を Tumblr に捧げてきたからなのかなあ
ムービーウォッチメンでみてもない映画の宇多丸さんの感想を10年以上聴き続けてきたし、カーボーイで太田さんが三島由紀夫大江健三郎について熱く語ってるのを面白く聴いたりしてきたしなー...
100分de名著はすげー好きで、指南役の人の断面や、後世からの批判(良くも悪くも)なんかも知れて良い
フィクションを作り手と分離できるかにも通ずる話かもしれんが、フィクションとはあくまでも媒介で、それを介して分かりあいたいのかもしれない
意味論?なんというか、切り取りというか、例えばビシッとキマったパンチラインについて、無知ゆえに曲解してしまうと非常に恐ろしいわけだけど(陰謀論とかの話につながる?)、誰しも最初に触れるというタイミングはあるわけだしなあ
原典にあたったからといって解像度が低いと表面的になぞるだけだし(なぞることすら重要ということかもしれないが)、とりたてて重要なことにもおもえない