北方謙三と宮崎駿

ターンで岩井さんが君たちはどう生きるかの話してて、その中で映画は新ネタおろしたら100ステージそのままかけっぱなしになるのがゾッとするって話をしていた
一方、チンギス紀の特番で、伯山センセが北方謙三に過去作を書き直したくならない?って話を振ってて
北方謙三は全く書き直したくならないそうだ
漫才にしても、講談にしても、確かにインプルーブメントの積み重ねが芸になっていくのに対して、小説にせよ映画にせよ、ディストリビューションメディアに依存する表現は大抵修正が効かないわけで
まあジョージ・ルーカスみたいにその壁をブチ破ってくる奴もいるけど
自分は仕事柄、どちらかというと前者寄りなので、確かにコードフリーズしてその時のやつをそのまんまおいといてっていうことはほぼない
単純にメンテしなくなったリポジトリは腐るほどあるけど、それらは別に誰から参照されるわけでもなく朽ちてるだけだからなあという
んでもって、確かにその時はだいたい全力で打ち込んでるけど、あとからみてみたらやっぱりまだ2合目にいるなお前、ってなっちゃう
Scrapbox に移ってきてから5年ぐらい?だけど、古い記事をインポートしてるので、それらを合わせると足掛け10年以上ナニカを書き続けているが、古いページみてよっぽど誤字脱字や誤植の類は直すけど、ヒィッ!となっても一応それはその味として置いとくようにしている
そういう面は小説や映画に近いのかも
Scrapbox の思想からいえば、耕していけってことなんだろうとおもうし、編集履歴も確認できるので手を入れりゃあいいんだろうけどなあ...
バンドアイドルなんかでは、その一瞬の煌めきこそが美しい、みたいなことがある
バンドというか、音楽のアーティスト全般「いやあ、やっぱりファーストアルバムがよかったよなあ」ってのはありがち
ただ、本人に伝わると申し訳ないのであんまり言わないようにしてるけど
若くして死ぬのがカッコいい、みたいな、そういうのには抗いたい気持ちもある
ミュージシャンもきっとインプルーブの芸なんだろうとはおもうし
ラルフ・ヒュッターは生でみることができたけど、70を超えても挑戦を続ける姿勢にシビれた
ナイル・ロジャースなんかもそうかな
Maison book girl は正直今でも喪失感の中にいるが、振り返ってみればカッコよく終わったのかなあ、ともおもう
Solitude HOTEL ∞F の衝撃は一生忘れられないとおもうが、仮にグループが存続して Negicco のような息の長いグループになってたらどうだったろう?
お久しぶりです・お元気ですか | Negiccoそれって魔法かも? | Negiccoは今の Negicco にしか出せない味だもんなあ、20周年ライブ楽しみだ