全ては己の能力だし、全ては己の実力ではない

全ては己の能力だし、全ては己の実力ではない
ワクチンの接種率が世界で10%くらいらしいのだが、10%に含まっているんだなあ、とおもうと自分の恵まれた境遇に感謝するよりないというか...複雑な心境になってしまう
ゼロからつくる科学文明」て本が面白いことを嗅ぎつけて、買ってちびちび読んでるんだけど、如何に自分がこの文明社会の構造を知らないことを突きつけられるというか、一応自分にも専門性はあるとおもってるけど、こんな狭いスペシャリティで食えてるのは今自分がたまたまマッチした時代に登場できたからで、狩猟採集時代に放り出されてたら速攻死ぬ自信があるし、ポストアポカリプスに放り出されても速攻死ぬとおもう
渋沢栄一の「論語と算盤」もちらっと読んで、論語と算盤というタイトルの深さに感動した
論語だけが正しいわけではないし、算盤だけが正しいわけでもなくて、論語と算盤は突き詰めていくと矛盾する考え方、捉え方だけど、その矛盾をもって世の中を包摂できる、という
社会主義でも無政府主義でも加速主義でもなんでもいいけど、単一の教義によってこの世界をわかったような気になれるわけはないのだとおもう
善と悪のパラドックス」でも、チンパンジーボノボを例に、サピエンスがいかに矛盾した生き物であるかという話が書かれていた
これまでの人生で、そこそこがんばってきたつもりだけど、そのがんばりの帰結として現在があるのだ、と考えるのは少し危ない感じがする
今不遇な人は俺よりもがんばってなかったことになってしまうし
がんばってきたんだとおもいたいのは己のエゴとかプライドとか、きっとそういうのが源流だろうから、そういう看板はおろして、俺は先人達が築きあげてくれた楼閣に居候しているだけなのだ、くらいに考えておくのがいい気がする
だからといって努力することを放棄するわけではないし、明日からもがんばる
21世紀に入って四半世紀が経とうとしているが、世界のつながりが増えた結果、こんなに分断されるんだなあ、と日々おもう
これは事象を単純化しすぎなのかもしれないけど、結局のところ分断てのは論語と算盤みたいなもんで、論語だけが正しいと考えている人と算盤だけが正しいと考えている人が、全く相手のことを受け入れられずに攻撃しているんだとおもう
ひとつの真理で世界を表現できたら、それは気楽なのかもしれないけど、たぶんそんなことは有り得ない気がする
全能のパラドックスみたいなもんだろう
論語と算盤みたいな二元論を拡張したのが多様性みたいな考え方なのかなあ
みんなちがってみんないいけど、それでも論を戦わせるのはやめはしない!みたいな...
最近眼を剥くのは、SDGs が想像以上に社会に膾炙していて、冗談半分でSDGメイソンじみてきているとさえおもうくらい
結構前から知ってはいたけど、こういうのって結局資本主義に負けるんだよなあ、とおもってたので非常に意外
正しく(?)アプローチすれば社会は、人間の群れの構造は変えられるんだ、と勇気が出る
一方で、ミャンマーはずっとドンパチしてるし、香港は事実上の併合完了といったところだろうし、クリミアなんかもしれっと併合されてると言っていいとおもうし、アプローチしても変えられないものはあるんじゃないかと悲観的な気持ちにもなる
こういうのを見てると、歴史の教科書を読んでるような感覚があってひとたびトリガーが引かれたらマジにドンパチするんじゃないかとひんやりする
この前ロシアの軍人のメッスネルって人が50年くらい前に「国家はもはや神話的な地位を喪失している」と指摘してたらしいことを知ったんだけど、確かに今のこの世の中で第一次世界大戦とか第二次世界大戦ぐらいのドンパチがあるんかというと、さすがにもうないんじゃないかという気がする
まあ、あったとしてもがぶち込まれて一瞬で終わるか、機械が自動的に人間を抹殺して終わるんだろうと信じたい、さすがにわけわからん島に補給もなくぶち込まれるみたいなことはないと願っている
消費アクティビズム?というのもあるみたい
まあこれは、古くからある不買運動みたいなやつの焼き直しみたいなもんだろうという気はする
人新世という考え方もあるそうだが、これはサピエンスが良くも悪くも多少のテラフォーミングができるようになったって理解でいいんだろうか
テラフォーミングというとまた驕っている感じもするけど、実際イーロン・マスクジェフ・ベゾスなんかはマジでテラフォーミングしようとしてそうなのであながち間違ってないのかもしれない