ホーリーモーターズ - diary.jgs.me
そして「ホーリーモーターズ」である。僕は映画をみるときは極力前情報をいれずにみたい質なので、今回も他聞に漏れずポスターしか前情報ない状態でみにいった。正直、序盤のストップモーション?みたいな映像からはじまった時点でヤバい予感がした。「ああ、こういう話なんだな」って分かるまで結構時間かかって、その間にもドラッギーな映像や音楽が押し寄せ、僕を振り切って驀進していくような映画だった。そして、みおわる頃にはもうくたくただった。ドサーッって感じの疲れだった。なんかもう、「えらいもんをみてしまったな」って。帰路でパンフレットを読んでさらに疲れた。なんつーかこのひとは僕の思考の範囲を超越してる。もう、映画をつくるために生まれてきて生きているようなひとなんだな、と。少し違うかもしれないが、同じ
フランスの
ギャスパー・ノエを連想してしまった。
僕は癒されるために映画をみにいったはずなのに、もう「映画とは何なのか」「生きていく上で僕は主役のオスカーみたいにいくつもの役を演じているのではないか」「
インターネット上の様々なメディアでの僕という人格はそれもまた演じられているものではないのか」「そもそも
生きるとは何なのか」「演じていない自分自身を生きている時間や場所はあるのだろうか」「例えば、有希代といる時間は本当の僕なのか。それとも有希代が好きな男を演じているだけなのか」そういった疑問が次から次へと噴出してもうパニックだ。
クラウド・アトラスで複数人が複数役をやるということをやっていたのが記憶に新しいが、この「ホーリーモーターズ」も主役の方が一人で11役もやっていてそれもすごかった。でも、僕自身はいくつ役柄を持っているんだろう。そしてこれからも役柄が増えていくんだろう。「ホーリーモーターズ」の主人公が父を演じ、病床の男を演じていたように。そして、僕という仮面を被ったまま僕は死んでいくのだ。
April 14th, 2013 12:37am