ブルーインパルスが飛んでるのを家の屋上で鑑賞した

ブルーインパルスが飛んでるのを家の屋上で鑑賞した
妻の呼び掛けによって住んでる家の大家さんと、上階の人と屋上で鑑賞会をした
近所の家にも子連れで鑑賞してる家族がいたり、家の工事してるとこの屋根部分で大工さんたちが鑑賞してたり、軽くつながってる感があって感傷的な気分になった
個人的には戦闘機にはそんなに興味はなくて、昔友達の家でエスコンやったな〜くらい
近くを過ぎ去る時に衝撃音が遅れてやってきてこれがドップラー効果か〜とおもったりしていた
数十年前にこんな感じで(今日みたいな低空飛行じゃなかったとおもうけど)空襲のために B-29 がやってきてたんだなあ、とか
大家さんは夫婦揃ってめちゃくちゃ興奮していて、なるほどなあとなった後に、ということはこれから「税金で戦闘機飛ばすのは無駄」「医療従事者にその分払え」「医療従事者だけど戦闘機飛んでるの見れて嬉しかったですけど?」「#戦闘機に反対します」的な連中が発生するんだろう、と予想していたら結構観測できて、そうだな...となった....
なんつーか、オリンピックはそもそも自分が近代オリンピックに嫌悪感があるのと、他所でやるのは勝手だけど自分が住んでるとこでやられるのは勘弁、という気持ちがあって強めにイヤだなあ、と言って憚らなかったんだけど、それと比較して戦闘機が飛んでるのを見れてテンションが上がる人が結構たくさんいるんだったらまあ飛ばせばいいんじゃない...みたいな.....
最近、根本的なところで分かりあえない場合どうすればいいんだろう?とずっと考えている
禅問答みたいだけど「人間を殺すことを厭わない人」と「何がなんでも人間を殺したくない人」がいた時に、「何がなんでも人間を殺したくない人」は問題が起きた時に「人間を殺したくないのでそこを第一義に話し合いましょう」というような具合で議論をしたいはずなんだけど、一方で「人間を殺すことを厭わない人」は「問題があるならその問題を取り除けば終わりでしょう」というような寸法で考えているのでずっと平行線になってしまう
これをどっちかがどっちかを改宗させた場合、それは洗脳とやってることが変わらないのでは?とおもっている
「教育」もある面においては体の良い洗脳だとおもっている
実際、香港国家安全法は西側から見てみると稀代の悪法みたいに見えるけど、中共側からしてみたら治安を維持するために必要な法なんだろう
ちなみに、これにイギリス中英連合声明に反するみたいなメッセージを出してるみたいだけど、そもそもは手前らが勝手に占拠しただけなのに何を宣ってんねん、とはおもった....
そして、西側につくか、中共につくかになってしまうと党派性がはじまってしまう気がする、うーん...