はじめてみた媒体を親だとおもってしまう現象

はじめてみた媒体を親だとおもってしまう現象
アニメ版ジョジョ6部完結して、7部わくわくタイムに突入したわけだけど、6部のオチがオチなだけにアニメ化もここで一旦打ち止めということもありうるのかなーと想像して不安になってしまう
6部最終回のエンディングが1部から6部までを辿るようなエンディングだったのもまた
一応この1-6部までの一区切りとして〜ってニュアンスでなんともなく7部がはじまるのかもしれないが....
ポルナレフAA はさすがに知ってて、3部のディオと邂逅するシーンで「これか!!」とはなったのだけど、実際のディオのスタンド能力は全く知らずにこれまでの人生を過ごしてこられたので、素直に「エェッ!さすがに強すぎな〜い?」とアニメ版で楽しめた
読書術みたいな話で、マジで読むの速い人は文をひたすら脳に叩き込むみたいな読み方をしているらしいが、自分の場合は読みながら脳内劇場が開演してるので、読みながらセリフとかは音として脳内で再生されている
これが困ったことに、例えば小説コミカライズしたり、実写化したりした際に脳内のビジュアルと違ったり、声が違ったりしてう〜〜んになりがち
コミカライズにしても、実写化にしても、それぞれのメディアのフォーマットに合わせて翻案がキッチリされてると別の世界として受け入れやすいのだけど、まんまだとやっぱりその誤差に引きずられてキツくなったりする
余談だけど、3部か2部までアニメでみた状態でジョージ・ジョースターを読むという謎ルートを通って、上記の性質のせいでプッチ神父の脳内イメージが全然違ってて6部はまずそこに驚いたりした
7部の内容ははやく知りたいので、配偶者からも周りの人からもさっさと原作で7部読めよ!!と諭されるんだけど、漫画だと絵から絶対に脳内劇場ボイスが生成されてしまうので、万が一アニメ化した時に件の差分がノイズになるのではないかと心配になる
個人的に映画アニメといった総合芸術の方が好きなので(もちろん小説や漫画、落語のように独力のイマジネーションもスゴいとはおもう)、できれば初見の驚きみたいなのをアニメ版にとっておきたいとおもう
一方で、明日死ぬかもわからない中で(そんなギリギリで生きてるのか?)死ぬ間際に「アァ....こんなことなら原作読んどけばよかった......」って死んでいくのはイヤだなあ、ともおもう
ややズレるが京極堂シリーズの新作「鵼の碑」が本当に出るらしいんだけど(未だに信じられない)、単行本サイズと新書サイズと電書版が出るらしい
京極堂シリーズは煉瓦みてえな文庫で買い揃えているので、できれば鵼工芸表紙が完成するのを待ちたい
ていうか、京極堂シリーズって表紙の装丁変わったパターンが出直してる気がするが、そっちでしか出なかったりするのかなあ....?
はやく読みたいので一旦電子で買うか迷うところだけど、特に京極作品は紙の方が味わい深いので、まあまあ候補からは外れてしまう
富豪プレイをするなら新書サイズを一旦買って、文庫出たら買い直すとかだけども.....