どこからがプロパガンダなのか

本当に考えた量は、書いた文字数で決まるにズシーンときたので、おもってることとか、考えてることをちゃんと書いていきたい

あいちトリエンナーレウィーン芸術展で左右共に強めの感じの言動の人が多くて疲弊するので深くは追っていないのだけど、難しそうな問題だとおもう
正直どちらの意見もイデオロギー主義的な空気を感じるのでどっちに肩入れする気も起きない
かつては芸術には政治性はなければない方がいい、と考えていたけれど、考えを改めて、芸術と政治性は不可分なのだと認識するようになった
他方で、プロパガンダとは情報戦世論戦と訳されるらしい
なんとなく、時のナチスのソレとかソビエトのソレみたいな、政府や、権力を持った集団からの押し付けがましい宣伝のことかと思い込んでいたのだけど、意味はもっと広いようだ
カウンタープロパガンダというのもあるらしい
政治性のある芸術がプロパガンダだとして、それが気に入らない人がカウンタープロパガンダをやっていると考えると言論の自由ってイイものだなとおもう
イデオロギー主義的と書いたけれど、自分が共鳴できないプロパガンダに対してカウンタープロパガンダをやっているだけなんであれば、それだけっちゃそれだけなのかな
そこで権力を持った集団が力を持ってして封殺するような行動をとるのは、明らかに非対称なのでやらないべきな気がする

けれど、公共の安寧を守るのも公の責任な気もしていて、パブリックな場で公序良俗に反する(そもそも公序良俗ってなんやねん、誰が決めるねん、最高裁の判事か?)物体が掲出されていたら、それは撤去されるべき

芸術、とくに現代芸術は「人の感情のスカラ値を最大化する」みたいなところに KPI を置いちゃってるみたいな感じがしている

この2つの食い合わせがめっちゃ悪そうで、公序良俗に反しないギリギリを攻めるみたいなゲームになってたりしないのかな?どうなんだろう?

そもそも論としては、いうてあいトリもウィーンを現物をみれてないので実際のところはどうなのかよくわからんというのはある

そういえば、個人的にはそういうのよりも映画とかで勝手にモザイク入れたり、ブラックホールが発生したりするのが腹が立つ
ゲームで血が緑になったりとか