かつて統一教会の勧誘によって大きな不幸が引き起こされていたことは、あの時代・場面に生きた人間として証言しておきたい


僕らの学生時代には「カルト」という言葉は使わなかったが、その意味に該当する宗教団体と言えば、統一教会のことだった。僕自身は生協の食堂にてひとりで昼飯を食べることが多かったので、かなりの回数勧誘を受けた。勧誘する側も、複数で共食している学生たちに話しかけるのは気が引けるし、勧誘が成功する可能性は低いとの判断から、僕の様な「ひとりもの」を狙ったのだと思う。あの頃は所謂新左翼の演説も学内から姿を消し、せいぜい食堂のテーブルに「東京サミット反対!」等のビラが置いてある程度。僕はと言えば、そんなビラの意味を全く理解できなかったし、「新左翼」という言葉も後に釧路駅裏の古本屋で立花隆さんの「中核対革マル」という本を買って、自分なりに理解したのが実情である。

法的には「個の信仰の自由」という論理で全て簡単にお片付けられてしまうものだろう。でも、お金が絡まなくても、かつて統一教会の勧誘によって大きな不幸が引き起こされていたことは、あの時代・場面に生きた人間として証言しておきたいと思う。当時の僕らは、初めて親元を離れて生活を始めたばかりで、経済的には未だ親の庇護を受けているという意味では、「子供」であったとも言えなくはないのだ。そもそも入信することによって一切の既存の人間関係・社会関係の断絶を要する(或いは強いられる?)宗教というのは、やはり不健全と言えるでしょう。